現在、私たちは家庭用ゲーム機やスマートフォンで簡単にゲームを楽しむことができます。しかし、そのルーツはどこにあるのでしょうか?多くの人が家庭用ゲーム機の代名詞として「ファミコン」を思い浮かべるかもしれませんが、テレビゲームや電子ゲームの歴史は、ファミコン登場以前から多くの先駆者たちによって作られてきたものです。
今回は、ファミコン登場以前のテレビゲームや電子ゲームの黎明期に焦点を当て、具体的な人物やエピソードとともにその歴史を紐解いていきます。
コンピュータゲームの原点:オシロスコープ時代
世界初のゲーム「テニス・フォー・トゥー」
テレビゲームの歴史を語るうえで欠かせないのが、1958年にアメリカの物理学者ウィリアム・ヒギンボーサムが開発した「テニス・フォー・トゥー」です。このゲームは、当時の最新技術であったオシロスコープ(波形表示装置)を使って開発され、二人のプレイヤーが卓球のようなゲームを楽しむことができるものでした。
この「テニス・フォー・トゥー」は科学展示会で公開されましたが、当時は商業的な意図はなく、ただ科学技術のデモンストレーションとして作られたものでした。それでも、後に「世界初のビデオゲーム」としてその名を歴史に刻むことになります。
「スペースウォー!」の登場
続いて1962年、MIT(マサチューセッツ工科大学)の学生であるスティーブ・ラッセルが開発した「スペースウォー!」が登場しました。このゲームは、コンピュータ上で動くゲームの一つであり、二つの宇宙船が重力の影響を受けながら戦うという内容でした。
「スペースウォー!」は、当時の大型コンピュータ「PDP-1」で動作し、プログラマーやエンジニアの間で人気を博しました。
商業的には成功しなかったものの、このゲームがもたらした影響は計り知れません。コンピュータゲームの可能性を示した作品であり、多くの後継者にインスピレーションを与えました。
家庭用ゲーム機の先駆け:オデッセイの登場
世界初の家庭用ゲーム機「マグナボックス・オデッセイ」
1972年、世界初の家庭用ゲーム機**「マグナボックス・オデッセイ」がアメリカで発売されました。このゲーム機を開発したのは、ドイツ生まれの技術者ラルフ・ベア**です。彼は、「家庭のテレビでゲームができる」というコンセプトを具現化させるために長年の研究を続け、ついに「オデッセイ」を完成させました。
「オデッセイ」には、今日のようなソフトウェアはなく、ハードウェアの中に複数のゲームが内蔵されていました。プレイヤーは専用のコントローラーを使って画面上のシンプルな白いブロックを操作し、様々なゲームを楽しむことができました。
付属のカラーフィルムをテレビに貼り付けて、ゲームの画面を彩るという工夫もあり、まだ映像技術が限られていた時代のクリエイティブなアイデアが感じられます。
ビデオゲーム業界のパイオニア:アタリと「ポン」
同年、アタリ社が設立され、創業者のノーラン・ブッシュネルは「オデッセイ」から着想を得て、業務用ゲーム機「ポン」を開発しました。「ポン」は、卓球を模したシンプルなゲームで、二人のプレイヤーがボールを打ち合う内容でした。このゲームは大ヒットし、アーケードゲーム業界を一気に拡大させる原動力となりました。
「ポン」の成功により、アタリ社はビデオゲーム市場の先駆者として地位を確立しました。そして、後にアタリは自社のゲームを家庭でも楽しめるようにするため、家庭用ゲーム機「アタリ2600」を発売しますが、その前段階で業務用ゲームとして成功した「ポン」は、ゲーム業界全体の未来を切り開いたと言えるでしょう。
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電子ゲームの進化:携帯型ゲーム機の誕生
初の携帯型ゲーム:ミサイルシステムの副産物
1976年、アメリカの電気工学者ジェリー・ローソンが開発した携帯型のゲーム機「フェアチャイルド・チャンネルF」が登場しました。このゲーム機の画期的な点は、カートリッジ式を採用したことです。これにより、ハードウェアを買い替えることなく、ゲームのソフトウェアだけを交換して新しいゲームを楽しむことが可能となりました。
また、同じ時期に、携帯型の電子ゲーム機も登場しました。特に注目すべきは、1979年に日本のエポック社が発売した「エポックLCDゲーム」シリーズで、これは当時の技術を活かし、液晶画面を使ったポータブルなゲーム機でした。これにより、ゲームはテレビや大型コンピュータに限らず、持ち運びできる娯楽として進化していきました。
任天堂「ゲーム&ウオッチ」の誕生
携帯型ゲームの歴史を語るうえで外せないのが、任天堂が1980年に発売した「ゲーム&ウオッチ」シリーズです。開発者の横井軍平は、電卓の技術を活用して、小型で持ち運び可能なゲーム機を作ることを発案しました。「ゲーム&ウオッチ」は、時計機能とシンプルなゲームを楽しめるもので、大ヒット商品となりました。
特に、「ゲーム&ウオッチ」は後にゲームボーイなどの携帯型ゲーム機の基礎となり、任天堂が携帯型ゲーム機市場で成功を収めるきっかけとなりました。これにより、ゲームは場所を選ばず楽しむことができる新しいエンターテインメントとして普及していきました。
アーケードゲームの黄金時代
「スペースインベーダー」の登場
1978年、日本のタイトーが開発した「スペースインベーダー」は、世界中で大ヒットし、アーケードゲームの黄金時代を築きました。このゲームは、宇宙からの侵略者を撃ち落とすというシンプルなシューティングゲームでしたが、プレイヤーに挑戦的なゲームプレイを提供し、爆発的な人気を得ました。
「スペースインベーダー」の成功により、アーケードゲームは世界中のゲームセンターやバーで広く楽しまれるようになり、ビデオゲームがエンターテインメントの主流となる基盤を作り上げました。このゲームの登場をきっかけに、多くの会社がアーケードゲーム市場に参入し、さまざまなジャンルのゲームが次々と登場しました。
関連商品:スペースインベーダー
「パックマン」旋風
1980年には、日本のナムコが「パックマン」をリリースし、アーケードゲーム業界に新たな旋風を巻き起こしました。「パックマン」は、主人公のキャラクターが迷路の中でエサを食べながらゴーストから逃げるという斬新なゲームデザインが特徴で、男性だけでなく女性や子供にも人気が広がりました。
「パックマン」は、世界中でゲームキャラクターとして愛される存在となり、ビデオゲームのキャラクターがエンターテインメントのシンボルとなる時代の幕開けとなりました。
終わりに
ファミコン以前のテレビゲームや電子ゲームの歴史は、多くの先駆者たちの創意工夫によって形作られてきました。彼らの技術革新と新しいアイデアが、今日のゲーム文化の礎を築いたのです。オシロスコープの実験的なゲームから始まり、アーケードゲームや携帯型ゲームへと進化していった歴史は、まさに電子娯楽の黎明期と言えるでしょう。
ファミコン以降の歴史はもちろん有名ですが、その前に生まれた数々のゲームと、彼らが切り開いた新しい遊びの世界もまた、ゲームの進化を語るうえで欠かせない重要な要素です。