すごろくの歴史:起源から現代まで

すごろくは、古代から現代まで、幅広い年代と地域で親しまれてきたボードゲームの一つです。その歴史は長く、さまざまな文化や社会に影響を与えながら進化してきました。本記事では、すごろくの起源から、各時代でどのように発展し、どのような形で現代に伝わってきたのかを詳しく解説します。

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すごろくの起源

古代メソポタミアとエジプトにおけるすごろく

すごろくの起源を辿ると、古代メソポタミアやエジプトの時代に遡ることができます。紀元前2500年頃のメソポタミアでは、今日のすごろくに似た遊びが行われていました。この地域では、シュメール人が「王のゲーム」と呼ばれるゲームを楽しんでいた記録が残っています。これはサイコロを使って駒を進め、相手の駒を捕まえるという要素が含まれており、現代のすごろくの原型の一つとされています。

一方、古代エジプトでは「セネト」というボードゲームが行われていました。セネトは、ピラミッドの壁画や遺跡の発掘で多くの証拠が見つかっており、古代エジプトの貴族や王族が楽しんでいたことが分かります。このゲームもサイコロを使って駒を進めるというルールがあり、すごろくのルーツの一つと考えられています。

インドの「チャトランガ」と中国の「双六」

インドでは、すごろくに似たボードゲームとして「チャトランガ」が存在しました。これは戦略的な要素が強く、後にチェスや将棋の原型となったゲームでもあります。また、中国では「双六(すごろく)」と呼ばれるゲームが古代から行われていました。これは、サイコロを使って進む要素と、戦略的に駒を進める要素が融合したゲームであり、後に日本にも伝わることになります。

中国の双六は、唐の時代(618年-907年)に非常に人気があり、宮廷でも盛んに行われました。この時代の双六は、ルールがやや複雑で、単なる運のゲームではなく、戦略性が重要視されていました。


日本におけるすごろくの伝来と発展

飛鳥時代に伝わった双六

日本にすごろくが伝わったのは、飛鳥時代(592年-710年)とされています。中国からの文化や技術が多く取り入れられたこの時代に、双六も渡来しました。当初は貴族や僧侶など限られた層で楽しまれていましたが、徐々に庶民にも広がっていきました。

特に奈良時代(710年-794年)には、貴族の間で双六が大流行し、宴会や社交の場での遊びとして定着しました。藤原氏など有力貴族の邸宅では、双六の大会が行われることもあったといいます。この時期の双六は「盤双六」と呼ばれ、戦略性が高く、勝敗が運だけでなく、プレイヤーの技量に左右されるものでした。

平安時代の双六の普及

平安時代(794年-1185年)になると、双六はさらに広まり、宮廷内だけでなく庶民の間でも流行しました。特に、貴族や公家の女性たちの間で人気があり、枕草子や源氏物語などの文学作品にも双六に興じるシーンが描かれています。この時代には「賽双六」と呼ばれる、サイコロを使った運の要素が強いゲームが登場しました。

また、平安時代には双六の賭博性が問題視されることもあり、時折禁止令が出されることもありました。とはいえ、双六は人々の間で根強い人気を保ち続けました。


江戸時代のすごろく

教育的要素を取り入れた「絵双六」

江戸時代(1603年-1868年)に入ると、双六は「絵双六」という新しい形に進化しました。絵双六は、遊びながら学べる教育的な要素が含まれており、特に子供たちに人気がありました。絵双六では、マス目に様々なイラストや文章が描かれ、そこに止まった際には特定の行動を取るか、学習内容を覚えるようなルールが設けられていました。

この時代には、様々なテーマの絵双六が登場しました。例えば、武士道や忠義に関するもの、職業や名所をテーマにしたものなど、当時の社会や文化を反映した双六が多く作られました。教育や教養を養うために使用される一方で、庶民の間では娯楽としても親しまれました。

大名家や町人文化における双六

江戸時代のすごろくは、大名家の娯楽としても定着していました。特に年末年始の行事として、家族や家臣とともに楽しむことが一般的でした。また、庶民の間でも年始に双六を行う習慣が根付いており、これが現代のすごろく文化の基盤となっています。

一方、町人文化が栄えた江戸では、印刷技術の発展に伴い、手軽に手に入るすごろくが普及しました。浮世絵師たちが描いた豪華な絵双六が庶民の間で流行し、当時の江戸の風景や風俗を描いたものが人気を集めました。


現代におけるすごろくの進化

明治以降の近代化とすごろくの変容

明治時代(1868年-1912年)以降、日本は急速に近代化を遂げ、すごろくもその影響を受けました。西洋文化が流入する中で、すごろくも変化し、ボードゲームとしての要素が強化されました。例えば、欧米から入ってきた「モノポリー」や「ライフ」などのボードゲームが日本で人気を集める中で、伝統的なすごろくも少しずつ形を変えていきました。

また、教育的要素を強く持つすごろくが再び注目され、明治から昭和初期にかけては、学校教材としても利用されることがありました。この時期のすごろくは、文字や数字の学習を手助けするものが多く、親から子供への教育ツールとして重宝されました。

戦後から現代までのすごろく

戦後になると、日本の家庭に再びすごろくが広まりました。特に年末年始には家族で楽しむ風物詩として定着しました。テレビゲームやコンピューターゲームが普及する以前は、家族全員で楽しめる娯楽として、すごろくは重要な存在でした。

現代においても、すごろくは家庭や学校で親しまれており、特に正月には「福笑い」や「かるた」と並んで、年始の定番遊びとして多くの家庭で行われています。また、デジタル化が進む中で、すごろくのアプリやオンライン版も登場し、新しい形で楽しまれるようになっています。


まとめ

すごろくは、古代から現代に至るまで、人々に愛され続けてきたゲームです。メソポタミアやエジプトの古代文明にその起源を持ち、日本では飛鳥時代に伝来し、江戸時代には庶民の娯楽として定着しました。現代においても、伝統的な形を保

ちながらもデジタル技術と融合し、新たな魅力を発揮しています。すごろくの歴史を振り返ることで、その文化的な意義と、時代を超えて人々に楽しみを提供してきたゲームの普遍性を感じることができます。

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